やらなかったことへの不安ほぼ杞憂だった件
最初にやらないこともやめることも立派な選択肢だってことを知ったうえで
次の文章を仕上げていきます。
突然ですがコロナの自粛期間中正直ものすごく暇だったんでいろいろ始めようと計画を練ってました。
いろいろ考えました。
- 今の会社でずっと勤めてていいのか
- 今のまま平行線で老人になって終わる人生か
- やらないで後悔したことはいくつあるか(疑い深い人なのでめっちゃある)
- こんな生活いつまで続くんだ
- ARKのためにパソコン買ったが他に使い道ないのか
- 勢いで買ったスイッチすごい値段で転売されてるけど捨てていいのか(捨てなかったが)
などいろいろ考えました。
で、考えるうちに気づきました。
考えるのにつかった時間でいくつのことができたかと。
それが分かっただけでも収穫だと考えるのをやめてまずブログをはじめたい始めたい
とか言ってるうちにもう数年たってることに目を付けました。
正直10年前からカリスマブロガーとかそういう言葉が存在してなんとなく自分の中で
「カリスマじゃないとブログ書いたらバカにされるのか」
とか
「誰も読んでくれなかったらどうしよう」
とか考えてましたが始めてわかったことがあります。
始めて思うが見てくれなかったからってなんのデメリットもない。
バカにする人はいません。そもそもバカすら来ないから。
じゃあ自分で好き勝手書いて何の問題もないでしょう。犯罪以外なら。
タイピングも始めてもう3か月たちました。
全力で挑んで最低スコアだった自分でもオフィスワークで困らないレベルまで成功できました。
正直これも始めるまで自分の無能さを露呈したくないという変なプライドが邪魔してたんでしょうが正直自分の無能をさらしてもこれまたデメリットがないんです。
だって無能なんだし有能になりたきゃ相応のことをしないといけませんしね。
無能を恥だと思わず伸びしろの塊だと思えば何やら人生楽しくなれるでしょう。
バカは馬鹿らしくオープンバカで生きるのが一番幸せです。
そして一生バカをアップデートするんです。
バカVar9ぐらいなるころには一周回ってバカとやすやすと呼べない人になっちゃったりとかそういう日もあるかもとかふざけたこと考えるだけでも気は晴れるでしょう。
それを文にして自分なりに表現すればなおさら。
デブならダイエットの恩恵を人一倍受けられる存在だっておもえばいいです。
ダイエットをやってるなら。
まああげていくときりがないのでここで切りますがとにかくやることがないとどこ行っても座敷牢みたいな感じでつまらないですがやってみれば座敷牢さえ楽しい場所に変えられるはずです。
では。